―天竜川の治水―

金原 明善 (きんぱら めいぜん)

泉崎 博明

金原明善の人柄と事業

明善は、植林の仕事で、山を見て廻るとき、藤や蔦の蔓が木に絡まっているのを見ると、誰の山であろうとお構いなく、それを切って歩くのが常であった。その寄り道のために当初の目的が大幅に遅れることもしばしばであった。

そんな時、明善は、イライラする伴の者にこう言って諭すのであった。「誰の山であろうとそんな事はどうでもいいのです。……『木に対する愛情』がわが日本国の一大財源である木を育てるのです。…あなたたちはいつも人を相手にしてばかりやっているから、いけない。そんな考えでは立派な人格を備えた日本男児とはいえません…」

明善は、決して贅沢をしなかった。生涯、質素倹約を旨として、いつも粗末な身なりで熱心に働いた。手ぬぐいも褌も破れれば、ツギを当てて使った。あるとき、使用人の一人が、「明善様、その下駄は余りにひどい。新しいものをお履きになったら如何です?」と言った。そのとき、

「お前は、自分のおかみさんが古くなったら、取り替えるのか?」と言って意に介さなかったという。

また、明善の忍耐強さは定評がある。彼の信念はこうである。

「人間として堪え難きことがあっても、『よく忍ぶ』ことが第一の宝。眼をつむって一心にこの『忍』の一字を守り、相手にならなければ、相手は自然に退散して、世の中に忍び難きことなど、ないようになる」

明善は常に人差指で、その掌に(忍)の字を繰り返し、繰り返し書いていたという。

明善は、生涯多くの事業を成功させたが、その主なものを列挙してみよう。

天竜川治水工事。沿岸流域への植林。それに関係する運輸、製材事業。各地への植林指導。富士山裾野の植林、岐阜県への植林協力、伊豆天城山植林、植林事業資金確保のための金融業。金原銀行頭取。

丸屋銀行(現在の書店『丸善』)再建、北海道開拓。犯罪者更正のための出獄人保護事業。和田村村長等々。

金原明善は、その晩年も矍鑠(かくしゃく)として生きた。明善はその健康について尋ねられると、

「長命健康は宵寝朝起き、きれい好き、食をひかえて暇なきによる。これがわたしの長寿法さ。なんでもない当り前のことだが、これが行われれば大したものさ」

明善は、83歳のときに、こんな歌を残している。

「八十や九十は子供なり
鶴は千年 亀は万年
八十三歳の子供明善
これを書く」

この歌は、人生百歳時代を迎えた現代の日本人に対する明善からの、はなむけの言葉かもしれない。

金原明善、享年92歳。

 

参考文献
『金原明善の一生』三戸岡道夫 栄光出版社
『土の偉人、金原明善伝』御手洗清 タンハ編集部