台湾を救った陸軍中将

根本 博

田上 敏明

蔣介石(左)、フランクリン・D・ルーズベルト(中央)、ウィンストン・チャーチル(右) カイロ会議(1943年)

蒋介石の「以徳報怨いとくほうえん 」演説

国府軍総統の蒋介石自身も、清朝時代からの日本への留学組であった。蒋介石は8月15日の玉音放送に先立って、南京から演説を行っている。

「もしも暴行をもって過去の暴行に報い、汚辱をもって、従来の彼らの優越感に応えるならば、怨と怨を相報い永くとどまることはない。これ決して、我々仁義の師の目的ではない」。

これは終戦時に行った蒋介石の有名な演説の一部であるが、日本では「以徳報怨」つまり、「怨みに報いるに徳をもってする」と訳されているが、このように、その言葉は含まれていない。この演説の内容を端的にまとめたのが、「以徳報怨」なのである。

いずれにしても蒋介石の配慮により、敗戦後、軍人を含む民間人、軍属など200万人が速やかに帰国を果たすことになった。



カイロ会談

少し回り道をしたが、根本が蒋介石に恩を感じたのはこのことだけではない。

昭和18年のカイロ会談で、ルーズベルトやチャーチルに対して強く主張した、敗戦後の日本の国の体制に関しての一貫した姿勢であった。

「日本の国体の在り方については、日本の新進のしっかりとした人々が、自由な意思で自分達の政府の形を選ぶのを尊重すべきである」「日本人自らが決める事である」。この主張がルーズベルトの賛同を得たという。これによって天皇を中心とした国体が存続する事がほぼ決まったと言える。

また、蒋介石は根本との最後の面談の中で、「戦争である以上誰もが罪を犯している、連合国間の申し合わせだから仕方がないが、誰もかれも戦犯にして、日本人の恨みは買いたくない」とも述べている。

根本は、「東亜の平和のため、そして閣下のため役に立つことがあれば、いつでもはせ参じます」と約束して蒋介石のもとを去った。その心に満ちていたのは彼への深い感謝の念であった。



国共内戦と蒋介石の危機

昭和21年(1946年)6月から始まった国共内戦は、国府軍の優勢で始まった。しかし、ソ連軍の支援を受けた共産軍は盛り返し、三大戦役後、坂道を転がり落ちるように、国府軍は敗退した。さらに、米・トルーマン大統領は、昭和24年8月、国府軍に対しての軍事援助を打ち切った。敗走を続ける国府軍を見限ったのである。

遂に国府軍は北京を手放し、雪崩を打って敗走に次ぐ敗走をして、上海からも撤退。台湾海峡を望む厦門(アモイ)まで追い詰められていた。

一方、元陸軍中将・根本博は、昭和21年8月に、最後の船で無事帰還を果たしていた。

しかし彼は、中国が共産化されることに対して憤りを感じていた。しかも、蒋介石には恩義がある。39万人もの軍人と邦人の帰還と、カイロ会談で「天皇制については日本国民の決定に委ねるべきだ」と主張しこれを守ってくれたという二つの恩義である。