シリーズ「日本が危ない」⑤

若者よ立ち上がれ
(You Tube[令和男塾チャンネル]より)

板﨑 雅光

世界に誇りうる日本人の素晴らしさ

私は27歳で結婚しましたが、3回目のデートの時、彼女に条件を付けました。その頃、昭和30年代後半は全学連の活動が活発になりかけていました。彼らは民主主義の名のもと、天皇の立場を廃止しようと運動し、それになびくものも多かったのです。日本はいずれ、天皇を奉る派と、天皇制を廃止する派に二分される恐れがあると感じました。

そこで、「自分は、天皇に弓を引く輩があったら、コマンドとして、一殺必中で立ち上がるつもりだ。それでもいいか」と、今考えると、なんと無粋な事を言ったなと思います。天皇の盾として、あっぱれな生き方をするのが、男の本懐と信じていました。

そもそも我々日本人はどういう民族だったのでしょうか。幕末、ペリー来航より一寸前、日本人は世界の人々からどのように見られていたのか、その一端を紹介させていただきます。

当時、アメリカ公使館付きの通訳であった、オランダ人のヘンドリック・ヒュースケンの日記の一文です。

「今、私がいとおしさを覚え始めている国…、この国の人々の質素な習俗と共に、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、至る所に充ち溢れている子供たちの楽しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見出すことは出来ない…」

また、大正末期から昭和にかけて、フランスの駐日大使を勤めたポール・クローデルは、短い文章で次のように書き留めています。「どうしても、滅びてほしくないひとつの民族がある。それは日本人だ。彼らは貧しい。しかし高貴である」と。

世界に誇りうる日本人の良さというのは、何時、雲散霧消してしまったのでしょうか。


昭和20年(1945)私は小学校六年生でした。戦争中は国民学校といっていました。その当時は、先生というのは非常に怖くて、しかも偉くて、そして家では、お父さんというのはやっぱり恐い存在で、お母さんは優しい存在でした。それが普通でした。

ところが戦後、どうなりましたか、今の家庭生活はどうですか。お父さんの置かれている位置というのは、非常に下がってきました。いつの間にか、お父さんは怖くない存在になってきました。昔は、地震・雷・火事・親父と言いました。

以前に現況社会にあって、自分にとって怖い存在は何かというアンケートをある民間調査機関がとりました。その結果、お父さんが怖いというのは27番目だったと言うんですね。お母さんが怖いというのは16番目で、お母さんよりお父さんの株が下がりました。お父さんの株を買っていた人は大損です。


その状態で、今の日本の国というのは、何かが間違って、何かが足らなくなっているんです。いつからでしょうか。顕著に現れたのは、昭和20年(1945)日本の敗戦、それからです。

終戦の時に封じ込められお蔵入りしてから75年、普通だったら苦節30年とか言いますが、50年以上も経てば立ち上がるのが当たり前です。他の国に文句を云われる筋合いは有りません。

日本では、天地開闢から、このような大自然の仕組み、これが連綿と続いたのです。このような事を今の日本人は知らないから、はたらきようがないのです。これを知ったら日本民族は世界の冠たるを知るでしょう。

国民を我が子と憶われる天皇陛下、我が子の為に我を忘れる親、一つのおにぎりを分け合う被災者、自らの命を顧みず被災地に飛び込む自衛隊・消防士・警察の方々、津波が迫る中で死を目前にして避難を呼びかけ続けた若い女性…。

「日本には日本の道」が確かにあるのです。

若者よ、今立ち上がる時です。

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