南方熊楠(みなかた くまぐす)

天衣無縫の生涯

市野 一夫

晩年―昭和天皇への御進講

熊楠には晩年になって最後に嬉しい大きなことが待っていました。昭和天皇への御進講です。

昭和天皇は熊楠の粘菌の研究を高く評価していて、南紀に行幸の際、粘菌についての御進講を希望されました。これを聞いた熊楠はビックリしました。「長生きはするもんやなあ。わしのような者でも、こうして長生きしていたからこそ、こんな名誉な話が舞い込んでくるんや」としみじみ呟き、謹んでお受けすると承諾の返事をし、御進講の準備に入りました。

昭和4年6月1日、南紀行幸の昭和天皇はお召し艦「長門」に乗艦し、神島沖合に停泊しました。

熊楠は隠花植物標本帖、菌類図譜、粘菌標本を持参し、このうち粘菌標本110点をキャラメル箱に入れて献上し、長門艦上で30分御進講申し上げたのです。彼にとって一世一代の晴れ舞台で喜びもひとしおだったことでしょう。

陛下も粘菌学者として、このひとときを楽しく語り合い、後年「南方にはおもしろいことがあったよ。普通、献上というと桐箱に入れてくるのが、南方はキャラメルのボール紙に入れてきてね、それでいいじゃないか」と親しみを込めて語られました。

そして再度、南紀白浜に行幸されたとき神島を懐かしく眺めながら、御製「雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の生みし 南方熊楠を思ふ」と詠まれています。この御製は現在、白浜町南方熊楠記念館に歌碑としておさめられています。

熊楠は御進講の時は齢63歳でした。若い時は大酒を飲んで無茶もしましたが、もう無理も出来ない年齢になっていました。永眠は昭和16年12月29日、75歳であり、日米開戦したばかりの年の暮れでした。

彼の粘菌学者、生態学者、人類学者、民俗学者としての偉大な足跡は語り尽くせませんが、名誉も地位も望まず、自由に純粋に生きた明治の男の生きざまが少しでもわかってもらえれば幸いです。

御進講の際の記念撮影。(昭和4年6月1日)

参考文献
縛られた巨人 南方熊楠の生涯』神坂次郎、新潮文庫