南方熊楠(みなかた くまぐす)

天衣無縫の生涯

市野 一夫

神社合祀ごうし令反対運動

明治33年に帰国してからの熊楠は、生物学者として精力的に植物採集を開始します。南紀熊野は植物の宝庫であり、彼の研究を支える最大の聖地でした。この頃、神社を合併して1町村1社にするという「神社合祀令」が出され、全国の鎮守の森が無くなってしまうという危機が起きたのです。神社が取り壊され、その森が伐採されて、生息していた動植物も死滅してしまいます。この危機に熊楠は立ち上がり、全力で神社合祀令反対運動に邁進します。合祀推進の会場に乱入して17日間も監獄に入れられたこともありました。それこそ、一身を投げうって反対したのです。

熊楠は「自然の破壊はわずかなところからたちまちに拡がり、後で気付いて元に戻そうとしてもどうにもならなくなる」と訴え、これが自然保護運動すなわち、エコロジー活動として全国の識者が認めるようになり、不条理な合祀令は大正9年廃案になりました。

紀伊田辺湾に神島という小さな無人島があります。この島は人間の手が入らず自然の宝庫で、珍しい動植物が無尽蔵にあります。この神島も熊楠の運動によって守られ、天然記念物に指定されます。後で述べますが、昭和天皇御進講の舞台に神島が登場するのです。

今、まさに環境破壊許すまじと、自然保護運動・エコロジー活動が盛んですが、熊楠の運動はその先駆けとして高く評価されます。熊野古道が世界遺産となっているのも、彼の運動がその根っこにあると思います。

リニア中央新幹線を通そうとしても、南アルプストンネル工事に静岡県川勝知事が待ったをかけています。大井川上流の水源が乱され、自然が破壊されるからです。実行されれば南アルプスの自然も大きく影響されることは間違いありません。コロナ禍にあって、経済最優先は間違っていたと多くの人々が認識したところです。

熊楠の言う「後になって気付いて元に戻そうとしてもどうにもならなくなる」この言葉をもう一度しっかり噛み締めなければなりません。