元の国、日本

佐藤 成夫

あたらしい道のご縁

私の人生におけるもっとも大きな節目である、あたらしい道との出会いのことからお話したいと思います。

昭和55年11月23日、大阪羽曳野にあるあたらしい道本部に私が初めて足を運んだ日のことでした。そこには私を含め三人のご明断拝受者がいました。私はその中で最年少だったので、三番目でのご明断でした。そのときの様子は、今でもはっきりと目に焼き付いており、例えようもなく印象的なものでした。

係の方に案内されご明断室に向かい障子を開けてもらって、松木草垣(まつきそうえん)女史の横顔が目に入った瞬間、
「あれっ!おふくろがどうしてここにいるんだ」という思いがドッとわいてきたのです。

私の母はちょうど一年前の昭和54年11月6日に亡くなっていました。なぜそのようなことを思わされたのか、理解できないまま過ごしていましたが、しばらくしてからようやく「成程そうだったのだ」とはらに落とすことができました。それは次のような道友の方ならどなたも知っているお言葉を心底から戴けるようになってからのことです。
「皆様方と手前(草垣女史ご自身のこと)は血のつながりこそございませんが親子なんです」

知恵や経験では到底理解できないお言葉です。私自身の30有余年にわたる経験や先輩道友他の体験を聞いて、本当にそうなのだと感じています。草垣女史はみたまの元親であり、私たちの身の内にはその分けみたまを戴いているのだということです。

ありがたい国になるのを見たい

松木草垣女史

昭和55年11月25日(ご明断の日でありまた自分の本当の親に巡り合えた日)に私のみたまが目を開いて、その結果、己の親としての草垣女史を本当の自分であるみたまが認識した、ということなのです。このご明断の中で 「自分を磨いて、そうして多少でも日本の国が本当にありがたい国になってくれるのを本当に見させてもらいたいなあと、忘れないように毎日それを気にするんですよ」と戴いています。

さらに昭和58年5月8日の松の間でのお仕込みでは、「これからはお前さん、真剣にこの道になりきるんですよ。そうして成程なるほど、この道によって日本の国が建て替わるとは素晴らしいんだな、こういう事(を)いつもいつもご自分に言い聞かすんですよ」と戴きました。

あたらしい道にご縁を戴くまでは、みたまのことはもちろんのこと、日本の国の歴史すら満足に知らないままにいたわけですが、本当の自分は、生れ出るときにおなかの中にはめて戴いたみたまであると教えられ、本当に長い間、私の身の内にあるみたまに幾多の得難い教えを仕込んで戴きました。それらは決して自分自身が立派になったり偉くなるためではないのです。私がご明断やお仕込みで戴いたお言葉のように、日本の国を神代のころのありがたい姿に建て替えるためなのです。

みたまといっても目に見えるものでもなく、なかなか理解しにくいのですが、みたまの正体といいますか、その性格を明示していると思われる、昭和47年2月22日にお示しくださった草垣女史のお言葉を紹介します。