「明治のころに一度 還る」

田上 敏明

このタイトルに魅かれて、原稿を書いています。「明治のころ」というのは、明治の始めから29年頃までの日本社会であり、現実は厳しい中でも、元来情のある日本人の心があった時代だと思います。

ある良識家がこう言いました。

「国は人と人との寄り合い、今のような日本人の心掛けでは、この先、先祖代々作り上げてきた日本を子孫の代にまで、残して未来を存続させられるのか、危機感を感じます」。

このことに共感する方々も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

日本という国は、歴史ロマンあふれる神話世界から、現代まで126代の天皇を頂く、世界で最も古い国柄を持つ国であります。また、皇室への尊敬を持ち、自分のことより他人のことを優先し、公への奉仕精神を有する美しい民族であります。

しかし、その元来の日本人が、失われてしまうかもしれません。国土は有っても固有の国民性が失われたならば、既に日本ではないという事になると思うのです。

何故そうなってしまうのか、日本らしさが残っていた明治の初め頃は、どうだったか、そこを踏まえてどうすればいいのかを考えてみたいと思います。

歴史を矮小化された江戸時代

明治の人々は、江戸時代を基盤にしてすべての物事を考えていました。明治維新後の薩長政府により、江戸時代はその歴史を矮小化されてしまいました。旧態依然の封建制の下、鎖国で停滞していた、身分制度によって農民は苦しめられた等は、事実とは異なります。封建制であったからこそ、イギリス等のヨーロッパ諸国と同様に、議会制民主主義の国民国家が建設可能だったのです。中国やロシアは、過去も現在も専制君主国家のままです。

1750年当時(九代将軍徳川家重の時代)、アメリカの人口が200万人ぐらいだったのに対し、日本の人口は2800万人でした。イギリスよりも多い、世界に冠たる大国でした。産業技術も各藩独自に発達していましたし、米を主体に3000万人が自給自足できる体制を築いていました。

ただ、鉄砲を主体とした兵器の改善や、蒸気機関等の技術の開発が遅れていただけだったのです。無理やり開国させられたのも、これが大きな要因のひとつです。

江戸時代も後半になると、能力主義で人材を登用していました。武士の本質は、武人である以上に官僚でありました。江戸時代には教育熱が上がって、95%の庶民は文字が読めました。

このような江戸時代の基盤があったからこそ、明治維新後あっという間に、地方制度の画一化、四民平等、義務教育、日本文化の重視、徴兵制度などを整備することができ、富国強兵、殖産興業を国策とすることができたのです。その基本は、「和魂洋才」であり、外国の良いところ、進んでいるところは取り入れるが、伝統ある日本の良さは残っていました。

教育の根本理念として明治23年には、教育勅語が制定され、国家の方向性を決め、国民一丸となって若い近代国家を作り上げ、僅か20年余りで欧米と肩を並べました。その結果、ご存知のように日清戦争に勝利することができたのです。

ですから、明治時代は、江戸時代の人々が作った、といっても過言ではないでしょう。

また、大東亜戦争敗戦後20年で、新幹線や高速道路を造り、オリンピックを開催するという、驚異的な経済復興を遂げた日本人の、不撓不屈の精神性は、明治人と共通するものでした。