最後の大名

林忠崇(はやし ただたか)の生涯

中井 健

徳川再興のために蹶起したただ一人の脱藩大名

昭和16年1月22日、最後の大名と言われた林忠崇が、東京豊島区のアパートの一室で娘に看取られながら、静かにこの世を去りました。享年94歳。

この忠崇を形容するのであれば、やはり徳川再興のために蹶起した、ただ一人の脱藩大名と呼ぶのがふさわしいでしょう。

殿様が「脱藩」した理由

20歳で請西藩(じょうざいはん)(千葉・木更津)の四代目藩主となった林忠崇。慶應3年(1867年)に大政奉還が実行されると、忠崇は西洋式の武器を導入し、有事に備えました。容姿端麗、文武両道で将来は老中ともいわれた德川幕府きっての逸材でした。しかし、状況は急変、当の将軍である慶喜は戦闘を放棄して、大坂から船で江戸に逃げてしまいます。そこで忠崇は悩みます。最後まで主家である将軍に忠誠を尽くしたいと思っていましたが、それでは官軍に逆らうことになり、領民や藩士も巻き添えにして迷惑をかけることになります。主君として、幕府軍の勝利が見込めない状態で、德川家への忠義と、藩を守ることの板挟みになった忠崇は決断します。「脱藩いたす」。なんと藩主自らが脱藩し、志を同じくする藩士数十名と共に幕府軍の遊撃隊に参加したのです。遊撃隊は、幕府の精鋭部隊で、その中心の人見勝太郎、伊庭八郎からの懇請もあり、いわば指揮官として参加したのです。藩主の脱藩は、前代未聞、唯一無二です。