シリーズ「日本が危ない」②

日本の将来と私たちの責任

〜黛敏郎氏が語った30年前の「日本が危ない」〜

日本人として生きるなら日本の国を大事にしよう

私は若いころ、日本がまだ講和条約締結をする以前にフランスへ渡り、そこの学校で勉強するといった時代を送っています。従って、ものの見方がどうしてもいわゆる国際的な見方をするようになる。外国へ行かれて、皆さんは何をお感じになられるか、あまり感じない方もいらっしゃいましょうが、私がまず感じたことは「あゝ、自分は日本人だなあ」という事でした。

つまり外国へ行きますと、当然のことですが、周りはみな外国人です。外国語をしゃべっていますから、話をするにしても、日本語を話すわけにいかない。外国語を使わなくてはいけない。風俗習慣、食物、全部違います。そういうところにおりますと、嫌でも自分の違いというものを意識します。つまり、自らの民族性国民性というものを意識するようになります。よく言われることですが、「外国へ行くと、みんな愛国者になる」のは、もっともだと思います。

音楽のような国際的な仕事をやっておりますと、どうしても自分自身の違いというものに、日本の特徴とか、特性とか、民族性とか、伝統とか、意識せざるを得ない。そういう宿命があるという事がお分かりいただけると思うのです。

私は比較的若い時からそういう経験を得ました。そこで私が考えたのは、どうせ自分は日本に生まれたんだ。日本人であることはやめるわけにはいかないのです。であるならば、日本語を話し、日本で生まれ、日本で仕事をし、日本で死んでいくんだったら、なぜもっと日本の国というものを大事にしないのか。最近の若い人たちに特にこのことを言いたい。

これは、私が音楽という国際的な仕事をしているからこそ、自信をもって皆さんに申し上げることなんです。

国際的であるということは
「いかに日本人であるか」ということ

小澤征爾君が国際的な大指揮者になる最初の登竜門は、フランスのプサンソンで開かれた国際指揮者コンクールでした。弱冠二十歳そこそこで、単身このコンクールに乗り込んでいったんです。

当時のプサンソンは、日本人なんてごく少数の、フランスの地方都市です。そこへ小澤君はホンダのスクーターにまたがっていったんです。そして、背中に日の丸の旗をしょって行ったんです。このいでたちでフランスの街を行けば、これが誰にでも目立ちます。

そして、「日本人、小澤ここにあり」という気概で、フランスのオーケストラの前に立った。その指揮棒の振り方が素晴らしかった。コンクール第一位の栄冠を獲得して、日本の小澤という名前が世界的になるきっかけを作ったのです。これは、私が小澤君からじかに聞いた話ですから、嘘でも何でもない。私はその時の小澤君の気概がよくわかるんです。

「自分は日本人だ」ということを、彼は大勢の前でデモンストレーションした。その結果、その「気概」が見事一位の栄冠を獲得させたのです。これは大和魂と言っていいと思います。

このような気概をみんな世界の芸術家は持っています。自分は生まれた民族の、国民性の一つの象徴なんだという気概を持っている。ゲーテというドイツの詩人はうまいことを言いました。

「国際的であるということは、いかにその人間が民族的であるかということだ」と。

私はこの言葉が非常に好きなんです。若い人たちに言うのですけれども、「君たち、外国語はもちろん勉強しなければいけない。それが意思の疎通をはかるための大きな武器だ。しかし、それ以上に勉強しなければならないのは、日本のことだ。日本の歴史、文化の伝統などをはっきりと把握しておかなかったら、恥をかくよ」。

1975年に東京都知事選に出馬表明した石原慎太郎氏の推薦人として記者会見に同席した黛敏郎氏(右端)。女性問題研究家・江上フジ氏(左端)、作家・遠藤周作氏(左から2人目)も同席した。 1975年に東京都知事選に出馬表明した石原慎太郎氏の推薦人として記者会見に同席した黛敏郎氏(右端)。
女性問題研究家・江上フジ氏(左端)、作家・遠藤周作氏(左から2人目)も同席した。