今村 均 将軍
マッカーサーをも感動させた

責任を果たす生き方

森田 誠

今村均将軍

軍人の道を選んだ今村均という青年

今村均は、1886年(明治19年)に仙台で生まれた。もともと軍人になるつもりはなく、第一高等学校を目指していたが、父の急逝によりそれが困難になった。

1905年(明治38年)、日露戦争真っただ中の時期、天皇の観兵式が青山練兵場で行われた。熱狂する群衆とまじかで天皇を拝謁した感動で、今村は「これが日本のお国柄であったと、私はこの時、君民一体の大家族国家に感銘させられた」と思い、陸軍士官学校に入学。後に陸軍大学を首席で卒業し、軍人の道を歩むことになる。しかし根底には、『歎異抄(たんにしょう)』と『聖書』をこよなく愛読する文学青年の一面があることも見逃してはならない。

今村均将軍の「責任を果たす」とは

徹頭徹尾自らの責任を果たした人、今村均将軍。マッカーサーをも感動させた責任をとる生き方とはどのようなものであったのか、その一端を紹介する。

  • ●敗戦後、阿南陸軍大臣のように自決し、軍人として責任を取った人は多いが、今村均将軍の責任の取り方は、戦後も人のために尽くし命を全うしたこと。
  • ●インドネシア・ジャワでは民族独立を支援して、スカルノに信頼され、敗戦後は戦犯として捕まった部下を救うために自ら赤道直下の収容所行きを志願して、マッカーサーを感動させた。
  • ●パプアニューギニア・ラバウルでは陸軍7万人の兵を統率して、米軍の猛攻をはねつけ、玉砕も飢えもさせずに終戦まで持ちこたえた。
  • ●その後も戦犯として捕まった部下を救うために、自ら最高責任者として、収容所に乗り込み、一人でも多くの部下を救うために奮闘した。
  • ●帰国した後も、部下や遺族の生活のために奔走した。